父の日イメージ

父の日には彼の笑顔を思い出して

私は、もう8年間、父に会っていません。
私の父は大学在学中に学習塾を起業し、そのまま大学卒業と同時に経営者になって、40年近く教師生活を続けて来ました。
バブルの時代には塾生400人に、講師の先生10人を抱える大きな事業になり、自社ビルも建てたほどでした。
しかしバブルが弾け、段々と少子化の足音が近づき、同時に付近に全国展開をしている大手の学習塾が出来て、塾生は減少して行きました。
経営は厳しくなり、生徒数の減少に伴って講師の先生の数も減って、塾はどこか寂しげな雰囲気を漂わせ始めました。
そんな時、不運は重なるもので、父は胃がんになりました。
進行性で質の悪いガンで、一箇所でも他の臓器に転移していたら、手術をしても助からないと宣告されたのは、私が高校3年生で大学受験を控えた秋のことでした。
経済的に厳しくなっていた矢先にそんなことになり、母は大層落ち込んでしまい、まだ高校生だった私には出来ることなど限られていて、私たち家族は途方に暮れました。
しかし手術をしないわけには行かず、思い切ってお腹を開いてみると、幸いにも転移は見られず、父は一命を取り留めました。
ですが塾の経営が厳しいという現実は変わらず、とうとう父は置き手紙を残して数日間行方不明になりました。
そうして捜索願を出して発見された時、父の手にはナイフが握られており、自殺を図ろうとしていたのです。
そうして家に戻っても、経営状態が良くなることはなく、それから3年後にはついに倒産してしまいました。
母は借金から逃れるために、父と離婚して自己破産手続きをし、私と共に家を出ました。
母は借金の連帯保証人になっていたため、そのままでは危険だったのです。
ですから、母の自己破産手続きは私たち母子にとって絶対に必要なことでしたが、それは同時に窮地に立たされた父をさらに追い込むことでもありました。
母は自己破産手続きの免責が下りた時、心底喜びましたが、私は残された父のことを思うと、心から祝福する気にはなれませんでした。
父は気が短く、乱暴な人で、勉強に関しても厳しく、私も一時期は父を嫌いになった時期がありました。
けれど本当は誰よりも寂しがり屋で優しい面も持っている人であることを私は知っています。
そんな父が今どこでどうしているのか。
家を出て8年が経っても、私は怖くて確かめられずにいます。
ガンが再発してはいないだろうか。
何をして生活しているのだろうか。
借金はどうなったのだろうか。
普段は考えないようにしても、ふとした瞬間に脳裏を過ってしまうのです。
昔、まだ私たちが裕福だった頃は、毎年、父の日にはオーダーメイドのYシャツとネクタイをプレゼントしていました。
けれど今は、父がどこにいるのかすら分かりません。
今の私には、父を憎む気持ちなど、欠片もありません。
ですからこの8年間、私は父の日が来るたびに彼の笑顔を思い出し、母に見られないようにして、そっと涙を拭うのです。

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